2010年7月19日月曜日

「柔術、どれぐらいやってるんですか?」5

「サンボ編」続き。

ということで、高校2年の5月、スポーツ会館のサンボスクールに入会したW少年。
練習は水・土・日曜日の週3回。
本当はサンボスクールの人は(スポーツ会館の正会員と違って)3回の中の2回の曜日を選ぶという形だったが、W少年は構わずに3回とも通っていた。

先輩方にはかわいがってもらったと思う。
練習後には、よく飲み屋に連れて行ってもらった。
酔っ払って人を一本背負いで投げたり(おかげで酒乱キャラになった・笑)、潰れて立てなくなったり、そうなると当然翌日は二日酔いだったが、そういうことは高校時代にたいがい経験した。

先輩方、特に神奈川大学レスリング部OBの先輩からは、両足タックルや片足タックルなどを教わった。
道衣を着た中でのタックルは、レスリングから少し入り方を工夫しなければならない。
打ち込みも毎回セットでいっぱいやった。
わりと片足タックルは得意技になった。
レスリング出身者は他に何人もいたけれど、スパーではレスリングのインターハイ経験者に片足タックルも決めた。
サンボに本当に打ち込んだ現役時代は、実質3年間ぐらいだが、この時期にタックルを真剣に練習していたのはよかったと思う。
タックル、なかでも持ち上げタックル・すくい投げのような、持ち上げる系統の技を練習すると、体全体の力がつき、体の軸がつくられると思う。
後に、柔術黒帯世界王者になるマリオ・ヘイスに両足タックルでテイクダウンを取れたのは、この時期の「貯金」である(とは言っても、お互い青帯のときのムンジアルで自分は一本負けし、向こうはオール一本勝ちで優勝…)。

自分の現役時代、サンボの大会は年に一回の全日本しかなかった(現在はフレッシュマンとか団体戦とか東日本とかいろいろある)。
当時の全日本は、メディア的にも注目され始めた時期でもあり、今よりも参加者は遙かに多く200人以上いて、大会は2日間にわたって開催されていた。
東海大や国際武道大などの強豪大の柔道家や、オリンピック経験者も含めた強豪レスラーもよく出て来たし、それに純正サンビストも絡んでいって、試合には「異種格闘技戦」のような趣があった。

自分が最初にサンボの大会に出たのは、高3のときの全日本選手権。
当時は57kg級。
結果は、1回戦負けだった。
相手はレスリング出身、サブミッションアーツレスリング(SAW)で名を知られた選手で、かつサンボでも入賞者だった。
試合内容は覚えていないが、今でも唯一覚えていることは、相手が抑え込みのときに、自分の短パンをつかみながらだったこと。
これはサンボでは反則である。
アピールしたかどうかも覚えていないし、それがなかったら抑え込みから逃れていたかどうかもあまり関係ないとは思うが、悔しかったのは覚えている。

実はこのときの全日本をレポートした格闘技雑誌があって、それに自分の姿も載っている。
『格闘技界』という、確か7、8号ぐらいで潰れた雑誌だ。
この『格闘技界』はあまりに売れなくてやけっぱちになったのか、最終号は突然女子プロレス特集となり、いま話題の風間ルミが表紙を飾っていたことを覚えている(笑)。

自分にとっての2度目のサンボの試合は、それから1年後の全日本選手権。
年は1988年。自分は浪人生で、予備校生だった。
柔道は高校卒業からやっていなかったが、サンボの練習はずっと続けていた。
この年の全日本は確か10月だったから……、入試まで3、4カ月しかない追い込みの時期、ちゃんと勉強しろよという話だが(笑)。

このときは申込締切までの段階で、前年と同じ57kg級には減量できそうもないと判断。
ジュニア(19歳以下)62kg級にエントリーした。

続く。

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