2010年11月14日日曜日

「柔術、どれぐらいやってるんですか?」9

「オイッ」と後輩の肩を叩いたところ、
振り返ったその顔は、F村ではなかった。
肩を叩いたのは、こともあろうに1年前、準決勝で戦った元木選手だった。
同じ坊主頭だったから、間違えてしまったのだ(笑)。

試合中に「逃げるな!」とほざかれ(失礼…当時の心境を再現すると)、目を指で突かれ(故意ではないが)、ほとんど形に入った膝固めを反則によって逃げられてしまった(これも恐らく故意ではないだろうが)、あの因縁の相手である。
向こうだって、ワタシを「あの野郎!」ぐらいは思っているだろう。

まさかの展開に、一瞬頭が空白になったW少年は、どうしたか。
なんと、間違ったことを悟られないように振る舞うことを選択した。
「あ、元気?」ぐらいは言ったかもしれない(笑)。

元木選手からは同じ62kg級エントリーじゃなかったことを問いただされて、「いや、もともと57kg級で、去年は減量できなくて62kgにしたんだ」とか答えた記憶がある。

二言、三言を交わして、微妙な感じのままW少年はその場を離れた(笑)。

元木選手はこのときの全日本では準優勝になったが、翌年はワタシの先輩の故・杉本さんの金メダルを常に阻んできた、東海大柔道部出身の小林左右長さんにも勝って、2度ほどシニアでチャンピオンになっている。

その後、元木選手は本職のグレコに専念して、こちらでも実績を出していった。
遅咲きの努力型タイプで、シドニー五輪では日本代表にまで上り詰め、その後もナショナルチームのコーチを務めるなど、指導者としても高い評価を得ている。

後日談だが、元木選手とワタシの共通の友人である山形出身の某接骨医から聞いたところでは、「自分のほうが負けているのに、“逃げるな”って言うのはやっぱり恥ずかしかった」と言ってたらしい。

ちなみに、ワタシが記者になってから言われたことだが、あるスポ館の先輩から「君の最大にして唯一の功績は、元木に勝ったことだよ」と評価されたことがある。
元木選手にしろ、足立選手にしろ、競技者としてワタシよりも遙かに高みにいった人間と、若い頃の一時にせよ凌ぎを削れたのは、大事な思い出でありちょっとした誇りでもある。

閑話休題。
試合前に後輩と因縁の相手を見間違えるという、そんなしょうもない“事件”はあったが、しかし試合のほうもひどかった。
もう相手の名前も所属も覚えていないが、自分の中では「勝てる相手」として臨んだ試合だった。
しかし、グダグダの試合になった。
ポイントが取れないのだ。
当時よく使っていた背負い→小外のフェイントで1ポイント取ったぐらい。
結果は、初戦敗退だった。

ズバリ、練習不足というしかない。
大学生になって合コンだ水商売だと浮かれていた自分に、相応しい結果が出た。
初戦でワタシに勝った相手も2回戦で負けていたし、さほど強い相手でもなかったのだろう。
1年前と違って、涙も出ない。
涙は、試合に向けて全力を出した者だけに相応しい。
試合のときに全力を出したかどうかではなく、試合前の練習で悔いなきようにどれだけ自分を追い込んで全力を出したかである。

この大学1年秋の全日本を境に、ワタシはスポ館の練習から足が遠のいた。
そして、再び夜の世界に戻っていった。

続く。