2018年1月22日月曜日

西部邁のこと

父親の影響もあり、また多少は寮とか周囲の環境もあり、特に政治思想に強い関心も知識もなかったけれども、それまでの自分は薄いサヨクというか、薄っぺらいサヨクではあった。

それが変わったのは、大学2年生の冬。90年8月にイラクがクウェートに侵攻し、91年1月に湾岸戦争ぼっ発。
それまで朝生は好きでよく見ていたが、事態の進行に伴い、薄っぺらいサヨクの考えも揺らいでいった。
「アメリカのイラク攻撃はいけないと言うが、イラクに侵略されたクウェートの不公正な状態はそのままでいいっていうの?」

大学2年生の冬から、突然、貪るように本を読み始めた。特に、思想とかに強い関心を抱いたのは、間違いなく西部邁の影響だった。
大学3年生の春から、授業が急に興味が出てきて、いつも前のほうに座って授業を聞いた。大学4年生になったら、だいたい単位は取れているので普通の学生はあまり学校に行かなくなるものだが、わたしの場合は必要以上に授業を履修した。そして、卒業後まで勝手に大学に行って(当時いうところの「ニセ学生」)、勉強した。

大学のサークルの先輩に、何になりたいかという話で「(朝生に出ているような)評論家になりたい」とか言ったのが(大学生なので許してください…)、ふだん温厚な先輩のどこか癇に障ったらしく、何か議論をふっかけられたのも微妙な思い出。
いや、時に西部っぽさ、栗本慎一郎っぽい口真似をしたことは、一度や二度ではなかったか(大学生なので許してください…)。

大学卒業後は1年あまり、ピースボートに出入りしたり、ニセ学生で幾つかの大学に潜り込んだりなどプラプラして、そのなかでサンボで知り合いでもあった鈴木邦男さんのゼミナールの手伝いなんかもやった。
たしか高田馬場のシチズンプラザあたりで、鈴木さんが呼びたい人を呼んでトークをやるもので、あるとき西部さんを呼ぶというので俄然テンションが上がった。改めて、西部さんの本を読み直し、何か突っ込みは出来ないかと研究したりした。

当時ピースボートの事務所で、思想についても通じている活動家タイプの古株に、西部の本を全部読んで研究したということを言ったら、「(批判するのに)そこまで全部読む必要なんかあるの?」という反応が返ってきたことを覚えている。

細かいことは忘れたが、わたしが用意した質問というのは、伝統が大事だというのはそれが歴史の風雪を耐えてきた知恵であるからで、それを人間の思いつきのような頼りない理性なんぞで簡単に否定できるものか、というのはわかるが、一方で西部先生は、伝統の中にも悪いものはあり必ずしも全部守らなきゃいけないわけではないということも同時に言っておられているので、その伝統の中の良いもの/悪いものを腑分けするのはやっぱり人間の理性頼りではないか? みたいな内容だった。

西部さんは正面から答えず、そうしたことも今度創刊する『発言者』を読んでくれ、というような感じだった。わたしも、どこか悪いこと聞いちゃったかなという気持ちになった。Wikiを見ると、『発言者』創刊が94年4月、準備号が93年10月だから、それぐらいの時期の話。

その二次会が高田馬場の喫茶店であって、唯一覚えている光景は鈴木さんがパリ人肉事件の佐川クンを目の前に連れてきて紹介しようとしていたところ、西部さんが「いや、挨拶したくない」「知り合いたくない」と拒否したことだった。目の前にその人が居ながら、断固たる態度だった。佐川さんは何も言わずに俯いていた。

94年10月からわたしは格闘技雑誌の仕事に入って、そちらの世界から少し縁遠くなった。
また、90年代半ば過ぎると、戦後民主主義とか進歩主義とか護憲派に対する批判という意味では鋭い切り口を保っていたものの、援助交際やオウムなど複雑な事象に対しては西部さんはじめとする「保守」の言説にあまり魅力を感じなくなっていった、と今にして思う。

それで、社会学者・宮台真司の台頭である。朝生でも存在感を強めていき、わたしも応援していた。
97年7月4日放送「田原総一郎の意義あり」で、西部と宮台が対決、途中で西部が退席してしまった場面はリアルタイムで見ていたし、しばらくビデオテープに残していた。当時はすでに宮台のほうを応援していたと思う。

そして、西部さんの本も手に取ることはなくなっていった。

それから十数年が経ち。
MX「5時に夢中!」を一時期よく観ていた時、その前にやっていた「西部邁ゼミナール」をチラ見したことを除けば、ふたたび、西部さんの言説に接近したのは2016年春。
安保法制の議論が盛り上がっていた頃の2016年5月5日、BSフジ「プライムニュース」で元・法制局長官が出演し、「9条と自衛と侵略の境界線」というテーマで西部さんの話を2時間近くしっかり拝聴した。
仕事の企画に関わるテーマだったし、もちろん個人的な関心があったから。
議論は噛み合わず、じつは自分でもびっくりするほど西部さんにまったく共感しなかった。いま議会で議論されている論点とは別個のところで、得意の語源に遡っての話法、そもそも人間の本性とは……的な話にはついていけなかった。

同じころ、『教養としての戦後平和論』という本を編集中に西部さんのことも言及されているので、参考までに古本で『私の憲法論』を買い直してみたり。
一年前に、読書会でオルテガをやるので、参考までに文庫になった西部の『大衆への反逆』を買い直してみたり。
どこか期待しながら、でも、いずれも今の自分に響いてくるものはなかった。

去年夏に出た『ファシスタたらんとした者』に、「遺書」だとか最後の本のような惹句が出たので、軽く立ち読みしたら、もう思うように手で書けなくなったのだという。
ああ、自分は編集者としては、ついぞ交わること無いままだったな、という感慨を覚えた。仕方ないことだ。

かつて自分が熱心な読者で、そこから離れてしばらくしたら、急な訃報にあってうろたえるという経験は、池田晶子さんの時にもあった(池田先生の場合は、本は作れなかったが、著者と編集者としての交わりは多少あった)。
多少の負い目。
いや、最初はそういう感じも確かにあったのだが、それ以上に「自殺」という選択についての思い。
言論は虚しい、自分の人生は無駄だった。……なのか、ほんとうに?

どんどん雪が降っている。
「俺に是非を説くな 激しき雪が好き」
野村秋介も自殺だった。

思想に殉じるような人たちは、もうこれからほとんど出てこないだろう。■


2017年11月15日水曜日

雨宮まみさん命日

雨宮まみさんの命日。
1年前の深夜に柳澤さんから訃報のメールをもらい、それを翌朝の通勤電車で開いた時の衝撃といったら。
どういう理由だったか全く記憶にないのだが、なぜか鞄の中には雨宮さんに寄稿して頂き、その中の言葉を帯のいちばん大きなキャッチにした『井田真木子と女子プロレスの時代』が入っていた。
その1年前に出したあんな分厚くて重い本をなぜその日に持っていたのだろう。
通勤電車の中で雨宮さんが亡くなったということをある著者さんにメールで知らせたら、ちょうど雑誌連載の締切日で雨宮さんに触れようとしていたところでとりやめた、なんてこともあった。
まだ死因も分からない時に、不謹慎に映るかもということで。
当日午後、お別れ会という名の葬儀に伺った時の心象風景。
そうだ、その1か月前には著者さんであるなべおさみさんの愛妻、笹るみ子さんをご自宅で見送っていたのだ。
みんな死んでいくなあ、とこういう時は登場人物がみんな死ぬイデオンが昔からよぎる。
じつは本日搬入の本の前書で、北原みのりさんが雨宮さんに触れているのだが、この本の搬入日と雨宮さんの命日と重なったのもただの偶然。
そういえばと、『井田真木子と女子プロレスの時代』刊行記念でやった雨宮さんと柳澤さんのトークイベントの音声を今日は引き出して聞いている。
「女性のライター死ぬんですよね。若くして亡くなる方が本当に多くて」
なんて雨宮さん、普通に言っている。
いや、井田さんのように貴方も。ぬけぬけとさあ。絶句。

2015年6月17日水曜日

ファブリシオ・ヴェウドゥムのこと

6月13日、UFC新チャンピオンとなったファブリシオ・ヴェウドゥムのこと。
こういう裏話的なことは書かないのだが、もうワタシも業界人でもないので、たまには。

昔、ミルコのマネジャーをやっていた今井さんから、「誰か寝技の強い選手を知らない?」と聞かれた。
当時、ワタシはフリーのライター・編集者として『柔術王』(2004年3月)というムックをつくったばかり。ブラジリアン柔術の黒帯重量級世界王者であるヴェウドゥムの名を、今井さんに挙げてみた。
ムンジアル(世界選手権)最高3位のノゲイラよりも実績的には上だし、重量級の中でもノゲイラのような手足の長さと柔らかい寝技を持つタイプがよいと思ったからだ。
その時のヴェウドゥムは、マイナーなMMAイベントに出始めてはいたものの、まだ柔術やアブダビコンバットで頂点を極めていた時期にあって、本格的にMMAに取り組む前であった。

今井さんによると、それまでミルコの寝技パートナーとして連れてきた人間が、ことごとく役立たなかった模様。
そのうちの一人は、日本とも縁のあったオランダ人ファイターだったが、ミルコを極めることはできなかったそうだ。
ワタシが、ヴェウドゥムの話をしたとき、「今までみんなミルコには……」とやや懐疑的だったが、今井さんはブラジリアン柔術の「世界」を知らなかった。
「そんな奴らと、ブラジリアン柔術の本当のトップを比べんなよ…」と思ったことは覚えている。

そしたら、今井さんは本当にミルコのためにヴェウドゥムを呼んだので、驚いた。
その決断と行動の速さに、すごいと思った。

実際、今までのスパーリングパートナーとは比べ物にならないほど、ヴェウドゥムは優秀だった。当たり前だが。そのことに今井さんは喜んでいた。
「ミルコのスパーリングパートナー」を経て、2005年PRIDE初参戦したヴェウドゥムのその後は、ファン御承知の通り。

今井さんからは、一時期、何かと連絡をくれたり相談を受けたりしていた(基本的に、業界人とは距離を置くワタシにとっては珍しい)。
たしかレオジーニョをMMAデビューさせるという話も、当時出ていた。

その後、ヴェウドゥムには「ガチ!マガジン」か何かで取材し、じつはあなたのことをスパーリングパートナーに薦めて……、と明かして、盛り上がったこともあった。

ミルコのスパーリングパートナーになって10年か。
人にはいろんな成功の仕方があるものである。■

2015年6月11日木曜日

「G2」最終号を読んで、もやもや。

大方、そこで述べられている意見に「反対」ではないのに、まったく「共感」できない原稿というのもある

これで休刊となる「G2」巻頭にある、「ノンフィクションを読まない24歳web編集者がノンフィクション・メディアの未来について考えてみた」という記事(リンクは一部抜粋)。

もやもやした数日を過ごしたので、久々に長いものを書いてみます。

この24歳web編集者の主張は、わかりやすいといえば、わかりやすい。
以下、この方の現状把握がわかる引用。

「ノンフィクション誌は人通りのまったくないところに構えた高級レストランのようなものである。具体的な姿勢の違いを挙げるとすると、webメディアの基本としては『読者目線』が徹底している」

「ノンフィクション・メディアの課題を整理すると大きく3つあると思う。読者が求めているコンテンツを提供できていなかった(かもしれない)こと、読者がいる場所を見つける(届ける)ことができなかったこと、そして『G2』のようにコスト面から考慮すると持続可能性が無いことだ」

「『ノンフィクション』について考える際に、『忙しい読者はそもそも長い記事を求めているのか』と問う必要はありそうだ」

しかし、この方は、ノンフィクションを「コンテンツ」というフラットな言葉で呼ぶんだなあ……。それはそれで一つの立場。
ただ、ワタシの旧知のノンフィクションライターに、もし「○○さんのコンテンツは……」とでも言おうものなら、張り倒されかねない。
そういう人もいることは知っておいたほうがいい。

先に引用した現状把握をもって、ノンフィクションの収益化のために、著者がイチ一押しするのが、「オンライン有料サロン」。

「わかりやすく表現すれば、「参加者の顔が見えるファンクラブ」といったところだろう。月々一定額(多くの場合1000~2000円)を支払えばフェイスブックの非公開グループに参加できるという仕組みだ。そのグループ参加者らでオンラインでの交流を図ったり、オフラインでの会合(オフ会)を開催したり、ネットだけでなくリアルのコミュニティを形成している」

つまりそのサロンにおいては、「コミュニケーションをするためにコンテンツを消費する」という形で、ノンフィクションは消費されるのだ。

引き続き、引用。
「著者目線ではなく、あくまでも読者目線――この視点が現在のノンフィクション・メディアには足りていないように思う」

「『コミュニケーションの設計』という、これからの編集者の大きな仕事になる領域は、ノンフィクションの可能性にもつながる大事なポイントだろう」

ここまで読んで、反感も覚えた方もいるだろう。
ただ、この24歳web編集者の、何かしら前向きな「情熱」は感じとることができる。

「必要なのは、成功事例ではなく、失敗事例であることは疑いない。ただただ手数が足りない。あとは意志と情熱の問題だけだと思うのだが」

そして、最後は、こんなアジテートで締めくくられる。
「Webの時代、スマホ時代のノンフィクションとはなにか。日々、紙雑誌の編集をしながらも、そんなことを考え抜いているノンフィクションの編集者はどれだけいるのか。誇りを持ち、プライドを捨てる。失敗から未来を見つけ、対象読者が求めているものをしっかり届ける、新しい時代に合ったノンフィクション・メディアを発明することがとにかく急務なのだ。とにかく手数が必要なのだ」

ワタシは、個人的には、こうした「仕組み」の話、マネタイズ、マーケティングの話は重要だと思っている。
それは、自分に欠けていて、もっと磨かないといけないところであるから。
なので、こういった話は、イチ編集者としては、勉強にはなります。

旧来のノンフィクション雑誌が、マーケティングの視点で駄目なことも、それはきっとそうなのだろう。

しかし、ここには「中身」の話がない。
中身の種類や質も問わず、「届け方」の話しかない。
こんなノンフィクションがよいとか素晴らしいとか、「コンテンツ」自体の話は何もしなくてよいのだろうか。

旧来の(意識が低い?)ノンフィクション雑誌の編集者が、24歳web編集者の原稿を読んでも、「……で?」と途方に暮れるのではないだろうか。
(「オンライン有料サロン」の可能性ぐらいは、調べるかもしれないが)

「Webの時代、スマホ時代のノンフィクションとはなにか。日々、紙雑誌の編集をしながらも、そんなことを考え抜いているノンフィクションの編集者はどれだけいるのか」と大上段から他人に問いかけるならば、そもそも自分は「ノンフィクション」そのものについて、どこまで問いを深く掘り下げて考えているのか。

いや、野暮な話をしているのは重々承知している。
内容の話と、お金の話、それぞれこちらが大事だと主張しても、お互いに「わかっていないね」という顔をして去っていくだけ。

どちらも大事である。
どちらも大事なのに、ここにはその両者を「つなぐ」言葉がまったくない。いや、つなぐ意志がない。
つなぐ言葉が、24歳web編集者流にいえば、「ただただ、足りない」。
それこそ、旧来のノンフィクション雑誌の人に、最も求められているはずなのに。

しかし、それも当たり前の話。
「ノンフィクションを読まない24歳web編集者」だからである。
無い物ねだりは、いけない。
自分に必要なことは、自分で考えなければならない。

とはいえ、この「つなぐ」言葉が欠如している自らの感性に、24歳web編集者がどこまで「自覚」的なのかは、ちょっと知りたいところだ。

「若いうちに左翼に傾倒しない者は情熱が足りない。大人になっても左翼に傾倒している者は知能が足りない」という有名な言葉を、時折思い出す。

ノンフィクションを通過せずに、大人になってしまった編集者の感性。こういう人を、ワタシは信用しない。

同じ「G2」最終号に、『井田真木子著作撰集』を刊行した里山社・清田麻衣子さんの原稿が収められている。
清田さんは、24歳web編集者の対極にある。

この編集者と井田真木子の、そうでしかありえない、そうでしか生きられないという「切実さ」。
自分の好きな本ばかりつくれるわけではないけども、ワタシもワタシなりに、作家さんと自分の「切実さ」に衝き動かされたノンフィクションを、今つくっているところです。

2015年4月20日月曜日

1995年4月20日

あの日からちょうど20年。拙文掲載のゴン格誌面(2009年2月号)をアップします。


2014年2月8日土曜日

怒りをうたえ

ぎょえー、一年ぶりの更新か。

よく柔術で「力を抜け」なんて言われるけれども、ワタシは力を抜くことよりも、力が相手にちゃんと伝わっているかどうかのほうが遥かに重要だと思っていて。
それは持論で、話せば長くなるので、ここでは省略するけれども。
いや、究極的には同じことなんだと思うけれども、視点の置き方はやはり違いますよね。

ワタシは出版の仕事をしているが、著者とタイトルをはじめカバー周りで意見が異なることは、同業者ならよくあると思う。
著者は、自分の書いた内容や考えを、そのままカバー周りに反映させたがる。
編集者は、それが相手(一般読者、想定読者)が手に取ってどう感じるか、そこにいったん意識を移して、そこからフィードバックして考える。
どう手に取らせるか、興味をひかせるか、そこから考える。
上の「力」の話と、少し似てますね。
伝えるってこと。

なんでこんなこと急に言うのかと思ったら、今日amazonに注文していた『てっちゃん ハンセン病に感謝した詩人』が届いていて。
ハンセン病の詩人・故桜井哲夫さんのフォトドキュメンタリー。
昔、この人のことが書かれたノンフィクション『しがまっこ溶けた』を読み、とんでもない衝撃と感動を覚えたのだが、この本を貸してくれた友人のタカコちゃんになんか怒ったのだ。
こんないい本なのに、このカバー周りはなんだ、この帯のキャッチはなんだ、人に手を取らせるということをこの編集者はもっと真剣に考えるべきだった、みたいな。
目が点になっていたが、最後は共感してくれたような。

「怒り」といえば、実は(というほど意外でもないか)ワタシは怒りっぽいとこがある。
そのことは自分の中の一つのテーマであった。。
なので、このたびシステマの北川貴英さんに怒りをテーマにした本を書いてもらったのだが、それは自分が読みたいものであり、学びたいものでもあった。

このブログを書こうと思って、急に思い出した。
『怒りの方法』という本について、八年前、こんな書評を書いていた。
http://business.nikkeibp.co.jp/article/life/20060605/103618/?rt=nocnt
〆の言葉は、少し大げさに書いた。ほんとです(笑)。
まあずっと自分にとってのテーマだった、という一つの証ですな。

なので、先週北川さんの出版記念イベントでの、中井祐樹さんの言葉のいくつかが胸を離れない。
詳しいことは書きません。
しかし、あの底抜けのリベラリズム、ぱねえと心底思ったのである。
中井祐樹、恐るべし。
そんな中井さんの本も製作中です。お楽しみに!

2013年2月21日木曜日

あるサッカーライターの体罰論について

「迷っています。スポーツではなく武道だった柔道にも、完全なるスポーツの論理を持ち込んでいいものなのか?」
http://bylines.news.yahoo.co.jp/kanekotatsuhito/20130201-00023301/
金子達仁氏のコラムが話題を呼んでいるようです。
個人的にもいろいろ思うところがありました。


【そろそろ体罰問題から離れてオリンピックの招致活動について触れようと思っていたのですが、またしても大騒動が勃発してしまいました。柔道の問題です。ここまで騒ぎが大きくなってしまうと、触れないわけにはいかんでしょ。
改めて言うまでもないことですが、大前提として、わたしはスポーツに於ける体罰に反対です。ていうか、スポーツに罰を持ち込むという発想自体が間違っていると思ってもいます。
じゃ、なぜ反対なのか。
体罰くらってサッカーが、バスケットが、ゴルフがうまくなるとは思わないから──突き詰めると、この一点に尽きるわけです。】

→“短期的”には、体罰で競技が上手くなることはありえます。
それは柔道日本代表のようなトップアスリートにではなく、
もう少しレベルの低い中学高校の部活の話です。
ただ、それは生徒のモチベーションのマネジメントを「恐怖」において実行しただけで、
生徒の資質や環境にかなり委ねられ、効果はあっても限定的です。
本来は「殴らなくても強くなった」し、「殴っても強くなった」のが実態だと思います。


【では、うまくなるのなら体罰はあっていいのか。
わたしの答はイエス、です。
殴られることが、罵られることが、自分の技量であったりチーム力の向上に確実につながるというのであれば、どうぞ殴ってください、罵ってください。勝ちたくて、強くなりたくてどうしようもない自分にさらなる力を与えてくれるなら、ビンタだろうがグーだろうが言葉の暴力だろうが、どうぞどうぞ。メッシやコービー・ブライアントやタイガー・ウッズも過酷な体罰に耐えたからこそいまがあるっていうんなら、わたしは体罰を認めます。愛情なんかなくたっていい。うまくなれるなら。勝てるなら。ハハッ。
もちろん、殴られてうまくなったサッカー選手なんかいなかったし、これからもいるわけがない。なので、体罰はくだらん。無意味。卑怯。スポーツに体罰を持ち込む指導者には侮蔑を。そう主張してもきました。】

→上手くならないから体罰はくだらん。
でも、それは裏返しの、体罰を肯定する論理そのもの。
強くなっても、体罰は駄目なのです。


【ただ、ずっと迷ってたし、いまも迷ってることがあります。
もともとはスポーツではなく武道だった柔道にも、完全なるスポーツの論理を持ち込んでいいものなのか。】

→この問い自体は、興味深い問題設定です。
ただ、残念なことにこの議論は、この先深められていません。


【以前、亡くなった格闘家アンディ・フグの練習について書きました。殺人的で非科学的に見えた彼の練習は、しかし、本人に言わせると必要なこと、だったのです。なぜならば、空手とは痛みに耐える競技でもあるから──。スポーツのトレーニングに慣れた人間の目からすると、彼がやっているのは罰そのものでした。】

→何が「殺人的で非科学的」だったのでしょうか。
(以前書いたという記事も、具体的に何も書かれていませんでした)
そこがまず元格闘技記者としては、引っかかるところです。
門外漢のライターにとっては非科学的な練習に映ったということしか、
この文章からはわかりません。
事実として、それが「殺人的」な練習「量」だったとしても、
もちろんアンディにとって、強くなるには普通に「合理的」な練習メニューだったはずです。
間違った練習方法をいくら積み重ねても、アンディのような一流にはなれません。


【柔道は、痛みに耐えなくていいのでしょうか。
メッシやブライアントやウッズが人生において一度もコーチから体罰を食らったことがないのは確実ですが、過去に世界一になった日本の柔道家たちは、体罰を受けなかったのでしょうか。受けなかったから、世界一になれたのでしょうか(ちなみに、1月31日付の朝日新聞で、山下泰裕さんは「自分は指導者に恵まれたために体罰は受けなかった」といった内容のコメントをしています。意味深です)。
柔道がオリンピック競技になったのは、東京でのオリンピック開催を機に、競技の国際化を意識した柔道関係者がそれを強く望んだから、でもありました。つまり、柔道はスポーツであると方向づけたのは、ほかならぬ柔道関係者であったわけです。である以上、反スポーツ的な体罰は許されないというのが当然の流れ。それはわかる。よーくわかる。】

→柔道のスポーツ化への流れは、その端緒を東京五輪開催に求めるよりも、
敗戦後、GHQによる武道禁止を解除するために、
スポーツとしての姿を前面に打ち出していった経緯を論じるのが普通です。


【でも、そもそもは護身術であり武術だった競技を、欧米生まれのスポーツと同列に論じていいもんなんでしょうか。】

→はい、その問題設定自体はよいと思います。
なので、その先を。


【楽しいからやる。それがスポーツの根っこ。ずっと言い続けてきたことです。
柔道って、剣道って、空手って、初めてやってみる子供にとって楽しいことでしょうか。】

→楽しい子は、普通にいますよ。
道場に来てください。


【スポーツは勝つから楽しい。勝つことにムキになって、同じようにムキになってぶつかってくる相手を倒したらなお楽しい。勝利を目指す。それこそがスポーツをやる上でのモチベーションでありエネルギー。じゃあ、武道はどうなのか。勝利はもちろん大切ですが、それ以上に、試練に立ち向かう姿勢であったり、苦境を打開する気概のようなものが重要視されるのではないでしょうか。だから、子供にとっては楽しくなくても、親がやらせる。将来のために、やらせる。
柔道には受け身というものがあります。初心者はたいてい、これから始めます。サッカーとバスケットと草野球しかやったことのない人間からすると、これ、ちょっと不思議です。
だって、受け身って、要は負け方の訓練でしょ。いかに負けた際のダメージを少なくするか。すべてのエネルギーを勝つために、あるいは負けないために振り分けるのがスポーツの常識だとすると、これ、とんでもなくイレギュラーなトレーニングだと思うのです。】

→そこが、多くのスポーツと、スポーツの中でも「格闘技」に分類されるものを隔てるところなのです。
それが、議論の出発点だと思うのですがね。
サッカーでドリブルで抜かれても、パスを通されても、シュートを決められても、別に怪我はしません。
柔道で投げられて、受け身を取らなければ怪我をします。
単に勝負に負けるだけではなく、怪我をしたらその競技を当分楽しめませんよね。
また、逆に相手をそのつど怪我させても、練習が成り立ちませんよね。
なので、スポーツとしてとらえても、受け身の習得は不思議なことではないのです。


【同じ格闘技でも、欧米で生まれたものには「ガードの仕方」はあっても「ノックダウンの仕方」とか「フォールのされ方」なんてトレーニングはないわけですし。】

→ここは金子さん自身が「負け方」という言葉に引っ張られ混乱していますが
(あるいは意図的に話をズラしていますが)
受け身の話に戻すと、欧米で生まれたレスリングにも受け身はありますよ。


【誰だって、負けて楽しいわけがない。にもかかわらず、競技を始めた最初の段階でまず取り組むのが「負け方」。この時点で、柔道という武道にとって一番大切なのは勝利じゃないんですよっていうのが証明されてると思うのですが、にもかかわらず、柔道はスポーツの世界に入ることを望み、それが受け入れられてしまった。】

→受け身を学ぶことが、その競技にとって出発点ということで、
もちろん競技としては勝つためにプレイするものですから、
柔道がスポーツ競技であることとは別に矛盾はしません。


【日本の柔道は1本にこだわる、と言われます。】

→こまかなことですが(ライターさんなので求めますが)、ここは「一本」と表記してください。

【これだって、考えてみればまるでスポーツ的じゃない。「勝つためにどうするか」を考えるのがスポーツ的な思考だとすると、日本人の柔道に対する考え方は、いまもって「いかにして勝つか」という部分が色濃く残っています。目的と同じぐらい、時には目的よりも過程を重視する武道ならではの思考です。だから、スポーツ的な思考から編み出された、有効や効果でポイントを取ったらあとは逃げ回ってしまえ……というスタイルがどうもしっくりこない。一方で、自分たちの国が編み出した競技である以上、勝たなければいけないという思いもあって、これはもう、完全にスポーツ的な思考。つまりは、21世紀に入ってもなお、武道とスポーツの整理がつかず、ちゃんぽん状態のまま放置されてきたのが日本人にとっての柔道だと思います。】

→はい、この問題設定自体はよいのですが、その先を。

【先日、スポニチのコラムに「日本人はスポーツをやることによって理不尽さへの耐性を獲得しようとしている」と書きました。スポーツをやっていれば根性がつく。スポーツをやっていれば実社会にでても役に立つ。だから1年生は黙々とグラウンド整備をするし、野球部の少年たちは礼儀作法を徹底して仕込まれる。
なぜこうなったのか。日本に武道があったから、です。
騒動が発覚後、つるし上げに近い形での記者会見に出席した園田監督は、記者からの「(体罰をふるうという行為は)あなたが特殊だったのか。それとも柔道界では一般的なことだったのか」という問いに対し、「わたし以外の人間がやっているのを見たことがないので、わたしが特殊だったのでしょう」と答えました。
これって、理不尽さへの耐性がなければできない答、でしょ。】

→武道が礼儀作法を徹底して仕込まれるということと、
理不尽さへの耐性が結びつくというのは、認めたとしても。
ただし、理不尽さ=体罰ではありませんよね?
じつは体罰は理不尽どころか、当事者にとっては、きわめてわかりやすい論理ではありませんか?


【すべての罪を自分一人が引っ被り、回りに迷惑をかけまいとする。この発想が、欧米では圧倒的に少数派のはず。長く武道に親しんできた、日本人ならではの考え方。で、「いくらなんでも女性に手をあげるのはいかんだろ」と思いつつ、記者会見での潔さには胸を打たれてる自分がいたりもするわけです(書いてみて気づいたのですが、相手がオトコならばやむをえんかなという思いが自分の根っこにはあるようです)。
柔道だろうがなんだろうがおしなべて体罰はけしからん、という声が主流派になりつつあります。バスケットボールというスポーツで起きた、体罰に起因する自殺事件と、武道でもあった柔道で起きた騒動が、ほとんど同じ重さで語られています。柔道界自らがスポーツたらんと望んだ以上、仕方のないことだとはいえ、個人的には釈然としないものも残ります。
日本人が柔道を、あるいは武道を完全なスポーツとしてとらえるようになった時、理不尽さへの耐性はまだ残っているのでしょうか。そもそも、そんなもの、必要ないのでしょうか。】

→武道には体罰が必要という前提で書いていますが、それは本当でしょうか。
柔「術」を柔「道」としてまとめあげ、「精力善用」「自他共栄」を唱えた
嘉納治五郎の著作集のどこに体罰を肯定する文言があるのでしょうか。


【つるし上げの記者会見に出席する。自分だけが割を食うのは納得がいかんと、体罰をしていた仲間の名前を列挙する……このままの流れでいくと、そういう日本人が多数派となる時代になっていくのではないか。それで、いいのか。 迷ってます。】

→自分だけ罪を被らずに仲間の名前を挙げていく……
これは武道文化とスポーツ文化の話でしょうか?
そうは思えません。
さまざまなレベルの話を混同して「迷って」書いておられるようですが、
金子さまにおきましては、山口香先生が朝日新聞に語ったインタビュー記事や、
松原隆一郎先生と溝口紀子先生の対談(ゴング格闘技4月号)を
ご覧になることを強くおすすめします。