2010年7月13日火曜日

「柔術、どれぐらいやってるんですか?」4

そして「サンボ編」。

高校2年の5月、スポーツ会館のサンボスクールに入会したW少年。
なぜサンボを始めたか、それは柔道が強くなるためだったということは、前回書いた通り。
自分がタイガーマスク=佐山聡ファンだったことも前に書いたが、当時のターザン山本編集長時代の『週刊プロレス』では、「全日サンボ選手権出場」を宣言した佐山聡のことを取りあげ、ビクトル古賀氏の元でサンボ特訓に励む姿を毎週のように追っていたのだ。

実際には、佐山聡は全日本選手権を欠場し、当日デモンストレーションを披露しただけに終わったのだけど(このあたりは、現在発売中の「Gスピリッツ」誌のビクトル古賀先生インタビュー参照のこと)、この全日本選手権観戦と『これがサンボだ!』購入を決め手にして、翌月からW少年はスポーツ会館に通い始めた。

よく「高校2年生からサンボを始めた」と言うと、「そんな若いときから」という反応をされることがあるけども、当時は別に珍しくも何とも無かった。
普通に高校生は他に何人もいたし(柔道やっている子も、何も格闘技経験が無い子も)、大学生も、社会人もいた。
そして、私が通い出したこの春には、サンボを始めようという人間がスポーツ会館に殺到していた時期だった。
その多くがプロレスファンだった。
それはそうだろう、みんなきっかけは『週刊プロレス』なのだから(笑)。
週プロは、イチ格闘技道場に入門者を殺到させるだけの力を持ったメディアだった。

現在のメディア状況しか知らないと想像しにくいだろうけども、1986年5月の時点で「格闘技雑誌」なんて日本には存在しなかった。
この全日本選手権の後に、格通もゴン格も、1986年後半に創刊されることになる(確かフルコンもほぼ同時期だった)。
プロレスファンはUWFを経由して、私のようにサンボを知り、上記の格闘技メディアの誕生によって、世界のさまざまな格闘技へ目が開かれるわけである。

私がターザン山本という人に一番感謝しているのは、このサンボという格闘技に私の目を向かせてくれたことである。

まあ、それ以前に格闘技誌がまったく無いわけでもなかった。スポーツライフ社から出ていた『マーシャルアーツ』は何度か買った。
うーん、渋い高校生だ。
しかし、それも「UWF特集」のときだったけど(笑)。

ああ、当時の状況を説明していると、なかなかサンボの本題に入っていかない。
でも、このブログではそういうことも書き残していこうと思っています。

続く。

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