2011年9月14日水曜日

婚活と格闘技雑誌のセクシュアリティ

このあいだ、婚活目的の合コンなど催す会社の女性経営者にお話をうかがう機会があった。
そこでの男女関係についての話が、個人的には、実に腑に落ちる話だったのだ。
結婚を前提としたお付き合いで、異性に求めるものは何かという話。
(ただ、恋愛においてもあまり変わらない人はそれなりにいる)

まず、「男と女、どちらが外見にこだわるか」。
これは男の方だという。

たとえば、女性は男性に対して、ルックスは評価の一部分である。
しかし、男性は女性に対しては、ルックスは評価の大部分を占める。

女性はルックス以外にも、男性の職業(及び年収つまり将来性)や家族構成(長男か次男かで親の面倒の有無)、性格(及び相性)など、いろいろ評価すべき軸があり、それらの総合点でお付き合いを判断するという。
ルックスは65点でよくもなく悪くもなく、職業は安定して収入も高めで90点、家族関係は長男だから低めの50点だけど、性格も相性もよいので90点以上……というように総合的な判断をする。
(実際に点数つけるわけではないだろうが)

一方、男性は、女性の職業や家族構成などを結婚の判断材料にあげる者は少ない。
性格すらも、そりゃよいに越したことはないが、それよりも何よりもルックスが自分的にOKかどうか(つまり自分なりにエロスを感じれるかどうか)が最大の評価軸である。

逆に言うと、ルックスさえクリアできて、自分のことを好いてくれるのであれば、性格やその他のものは「問題ない」範囲に収まっていればよいのである。

ここまで読んで、私はそういう人間ではない……と反発を感じた人は、この先を読み続けるのは時間の無駄なので、離脱推奨。
一般的にそういう傾向が強い、という話である。

確かに、そこまで男は外見にこだわっているだろうか、とワタシもその場で聞いたとき感じた。
しかし、男は外見にこだわっているわけではない。
単にそれが相手を選択するうえでの最大の評価軸である、という話である。

その女性経営者によると、渋谷の街角に立ってある一定時間、ルックスが好みの異性がいたらチェックする、という実験を男女にやらせた統計があるという。
結果、女性のほうは平均して数人程度だったのに対し、男性は数十人というレベル。
文字通り、ケタ違いの男女差が出たのだという。
(話の流れからして婚活中の男女を対象にした実験だったと思う)

男性は、女性のルックスが何よりも大きな関心事でありながらも、かといって、「こういうタイプじゃなきゃ絶対イヤだ」というこだわりがあるわけでもなく、その守備範囲は女性に比べてかなり広い。

それが男という生き物……!!(笑)。

いい人ぶりたい男が、「人って顔じゃないよ、内面だよ」などと言うとしたら、単にそいつのルックスに関する「守備範囲の広さ」を示しているだけ、というのは実はよくある話かも。

ここでフェミニズム的な分析を施すのは容易だろう。
が、やらない。
それが凡庸であるからではなく、ワタシが書きたかったのは、格闘技のことだから(笑)。

現在、定期刊行している月刊の格闘技雑誌は「ゴング格闘技」一誌のみ。
隔月刊で「ファイト&ライフ」はあるが、発行部数や業界に与える影響としては、正直、ゴン格には及ばない。
日本の経済不況、出版不況、格闘技ブームの終焉、ネットなどメディア環境の変化もあり、「格闘技通信」は昨年、「紙プロ」は今年休刊というのが、格闘技雑誌をめぐる現況である。

そのなか、最近いくつか格闘技関連ムックが出版されている。
つくり手としては、実験的に何号か出した後、売れ行きが良ければ版元が月刊化を決定……という展開を当然狙っているだろう。
(まだ具体的にそういう話が進んでいる例は寡聞にして知らない)

それらのムックを見て、改めて感じたことがある。
ネットは情報だけが命だけど、紙媒体は総合点だな、と。

ネットは、無料で情報が手に入ることが多いという点で評価のハードルが低くなることは大前提だが、いかにそれが今まで関係者しか知らないような貴重な話であったり、初めて公表される事実であったり、真実に近いと思われる裏話であったりするのかという、つまりテキストにおける情報が全てである。

もちろん、紙媒体の雑誌だって、テキストが肝なのは変わりないのだが、雑誌好きのあなたなら知っているはずだ。
写真の素晴らしさやデザインのセンス、キャッチコピーや雑誌全体の構成から伺われるコンセプトや編集者の情熱らしきものも、私たちは雑誌に欲望する。

「テキスト」は買ってからでないとじっくり味わえないので(何でも立ち読みで済ませられる人には雑誌好きはいないと思う)、その雑誌の世界観も含めて所有したい、じっくりそれを自分の時間で味わいたいと、雑誌好きなら思うものである。
(ちなみに、雑誌におけるテキストは情報だけに留まらない。事象を切り取る解説や視点の斬新さ、もちろん文章の巧さなんかも、金を払う以上必要である)

たとえばワタシの場合だと、写真が残念な雑誌には、個人的には総合点が一気に下がってしまったりもする。
写真が残念だけどデザインは素晴らしいということはまず無いので、これらはたいがいセットになっている。
(残念ながら編集者のほうは自覚できない。センスとはそういうものだから)
よって、ワタシの所有欲は当然下がる。

しかし、それらが残念な出来であっても、テキストに関しては素晴らしく評価できるということはありうる。
とすると、紙媒体は総合点でありつつも、どの異性(読者)に対して強く届くのか、というのは雑誌の個性になるのであろう。

ワタシ自身は女性に対してルックスの部分で高い評価は得られないと思っているから、総合点での評価を強く希望する(笑)。

しかし、元・雑誌のつくり手としてのワタシは、総合点で評価されることは決して「救い」なのではなく、総合点で評価されるからこそ実に「怖い」ことなのだ、と恐れている。

そして、現・格闘技ファンとして書店でパラッとページをめくるときのワタシは、キャッチコピー一つを見て、「この雑誌の編集者は古いなー」とか残酷な刻印を押してしまうこともある。

定期刊行物の雑誌編集者なら分かると思うが、大事なのは「ドントシンク、フィール!(考えるな、感じよ)」「考える前に跳べ!」的な読者を、その雑誌で持つことである。
そりゃ、毎月つくっていれば、いつもいつも魅力的なコンテンツ満載というわけにはいかないのだ。
どうしてもネタが厳しい号もある。
それでも、この雑誌を欲望してもらうには、テキストだけでは不安定だし不十分なのは自明である。
それこそ普段からの「総合点」で信頼してもらい、ファンになってほしいのである。

だからこそ、テキストも写真もデザインも、すべて手を抜けないし、手を抜いているような(たいがい当事者に自覚はない)紙媒体を見ると、「あなたたちね……」とひとりごちるのだ。

それが、紙媒体。
かくも厳しき、総合点!

中身のある会話などなくていいの。
別に何か話すことがあるってわけじゃないけど、ただ会いたい。
会っていれば幸せなの。
……そんなトキメキを、毎月発売日に持ってもらわなきゃ困るのである。

出会えれば、しあわせ。
そんな関係を築くまでには時間がかかるし手抜けないし、そりゃ大変だよー、っていうことを、いくつかのムックを読んで、思ってしまった次第である。

2011年7月6日水曜日

喧嘩の止め方

日曜日のまだ明るい夕方、大久保の裏道で若者二人が喧嘩をおっぱじめそうな雰囲気。
茶髪が黒髪に文句をつけてて、今にも殴りかかりそうな勢い。
黒髪のほうはというと、文句言われて、小突かれて、何か言いたげだけど、黙って相手を見ている。
水商売の同じ店の人間っぽい。
たぶん女関係のトラブルじゃないかなと感じた。

なんでそこまで観察していたかというと、ワタシは軽く通り過ぎたかったのだが、ゴツく正義感あふれるサンボの仲間たちが止めに入る構えを見せていたからだ。

ワタシとて、これが一対多数だったり、武器を持っていたりすれば話は別だ。
あるいはこれが一方的な力関係に見えたら、もう少し感じ方が違ったかもしれないが、昼間の住宅街で人通りもないわけではない。
生死にかかわるようなことにはならないだろう、というただの直観である(もちろん根本は面倒には関わりたくない、だ)

しかし、仲間たちがそのような感じなので、ワタシも少し離れたところで見守っていたら、突如、茶髪がヒートアップ。
黒髪の首を絞め始めた。
といっても、いかにも素人のヘッドロックっぽい絞め方。

仕方ないのでワタシも近寄って行ったが、それよりも全然早く仲間の一人は反応し、その茶髪の背後から絞めあげる。
その瞬間、見た目はまるでプロレスのバトルロイヤル(笑)。

もっとも、その仲間が後で言うには、チョークではなく、あえてフェイスロックで締めあげたらしい。「噛まれるリスクはあったけど」とも言っていた。
絞め落とすのが目的ではなく、二人を離させるのが目的だから、そうしたのだろう。

まあそんなことより、ワタシが感心したのは、そんな茶髪の輩に対して、フェイスロックで引きはがしにかかりながら、「やめましょう、やめましょう」と丁寧語だったことである。

この仲間は、レスリングでもサンボでも大変な実績がある方である。
腕っぷしでは茶髪など全く寄せ付けない方なのに……、いや、素晴らしい。

ワタシは喧嘩の技術なんかよりも、喧嘩を止める技術のほうに関心がある。

さて、そんな色んな人間が止めに入ったことで、何となく大丈夫そうだと判断した私たちはその場を離れ、しばらくして別の仲間と合流した。

その別の仲間の話によると、さっきの場所に警察が来ていたとか。

住宅街だったし、近隣住民が通報したのかもしれない。

しかし、仲間たちは言う。
ワタシの見た目が怖いから、住民が通報したんだよって。
そんなことはないはずだ(笑)。

2011年1月9日日曜日

柔術教師

例によってご無沙汰しています。

しばらくここで連載していたタイトル「柔術、どれぐらいやってるんですか?」ですが、
実はトライフォース青山のブログで、その答えらしきものを書いてしまいました(笑)。

埼玉県和光市の体育館でワタシが柔術クラスを始めることになり、
その告知用に、主に柔術道場の方を対象にして書いた文章なのですが、
以下にほぼ同内容のものを転載いたします。

次の機会に、ブログの連載タイトルも変えねば。

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このたび、埼玉・和光市総合体育館(http://www.konamisportsandlife.co.jp/trust/wako/)で柔術講座を受け持つことになりました、トライフォース青山の茶帯、藁谷です。

石川先生がご厚意で「ブログで紹介するから」ということで、講座の詳細をお知らせします。

場所は和光市総合体育館(和光市広沢3-1/TEL048-462-0107)で、年明け1/8(土)からスタート。
毎週土曜日16:30~17:30、1クール3カ月12回(3カ月後も延長できます)、税込1万2千円です。

という時間や場所だけ書いて送ったら、もっと書いてほしい…ということで、ちょっと長めの文章を書かせていただきます。

まず、簡単な自己紹介から。
私、藁谷はトライフォース麹町(現・青山)に入会して約2年半、茶帯に昇格して1年です。
麹町の前は、他の柔術道場に約3年間在籍していました。
さらにその前は、サンボや高専柔道をやっていました。

今回の指導の話は、妻の職場の関係で私個人に直接来たものであり、「トライフォース和光(TFW)新設!」ということではなく、単に「ブラジリアン柔術講座」を藁谷個人が受け持つという形式になります
(石川先生からは「何でも協力する」とありがたい言葉をいただいています)。
恐らく公の施設が運営するブラジリアン柔術講座というのは、まだ全国でも珍しいのではないでしょうか。

そして、私自身、柔術の指導を受け持つのは、今回が初めてとなります。
もちろん、青山でも頼まれて足関などを教えることは時々あります。
でも、単に時間内にその技を教えて出来るようにするだけでなく、
生徒さんが楽しく続けられて、柔術が上手く強くなっていくように一からプログラムを考えていくのは、かなりステージが異なると感じています。

前に石川先生からは「指導をやると、上手くなる」と言われたことがあります。
他人に伝えるためには、細部まで体の動きが論理的でなければならないわけで、そこで技の理解が深まるのは今まで実感してきました。
でも、これはさらに一段階上の何かが待ち受けているのでしょうね……(まだ「予感」です)。

人に教えることとは、どういうことなのか。
そう考えると、自然と自分の来し方を振り返ってしまいます。

私はトライフォースにいる多くの道場生の方とは少し違う道を辿って来たかもしれません。
結論から言うと、私は長い間、「柔術」というよりも、「寝技」を嗜んできました。
ある程度、寝技に特化した練習を私が始めたのは1996年の春、高専柔道を現代に受け継ぐ寝業研究会だったということもあるでしょう
(当時はちょうど日本に初めて柔術道場が出来た頃でした)。
数少ない寝技中心の乱取が出来るところであれば、柔術でも柔道でも高専柔道でもサンボでも総合の道場でも、喜んで行きました。
寝技が好きで、寝技が出来るところなら、いろいろルールやスタイルは違っていたほうが面白いと思っていました。
初期の柔術家たちは、そういう方は他にもいましたね。
パラエストラの昼柔術にもよく行かせていただきましたし、そこで現在のトライフォースの各先生方とも出会っています。

青帯の後半ぐらいまでは柔術道場に所属することなく、あくまで私自身は(柔術ルールの)「寝技」をやっているという感覚でしたね。
もっとも、紫帯ぐらいからは柔術以外の道場に行くことはほとんど無くなったので、今はもう完全に「柔術」という意識になっていますが。

なので、多くの生徒さんのように、道場に行って、毎回先生から技を三つ四つ習って……ということは、しばらく経験してきませんでした。
サンボや高専柔道で学んだ技の他は、柔術や柔道のビデオ(DVDではなく)や技術書(雑誌の技術企画含む)などを見て、自分で勉強していましたね。

それはメリット、デメリットあると思います。

メリットでいえば、人から技を与えられないので、常に自分で考える癖がつくのではないかと。

たとえば、昔、よく柔術界には「柔術は力が要らない」と言う人たちはいましたし、スパーしてても「もっと力を抜け」とか言う人たちがいました。
しかし、そんなことは全く重要ではないと、私はずっと思っていました(この辺のことは過去に原稿にも書きました)。
それは、柔道やサンボ、グラップリングなど他の格闘技のように、私は柔術も全く同じ「スポーツ競技」としてフラットにとらえていたからです。
逆に、人の体を制する技術の考え方自体に、そんな大きな差があったらおかしいです。

私自身は強さ弱さでいえば、茶帯のほうでも下の部類です。
ただし、私のようなスタイルの人はあまり他に見当たらないのではないかと思います(笑)。

そのおかげで、陰で批判されることも多々ありましたし、今でもないわけではないようですが、それは仕方ありません。

デメリットでいえば、その分、技にかなり偏りが出てくること。

なので、たとえば当初、麹町の「基礎クラス」に、紫帯や茶帯になって出るのは恥ずかしいという気持ちもちょっぴりあったのですが、実は出てみると初めて知ることも多かったりしますし、今でもけっこう新鮮な気持ちで臨んでいることは告白しておきます(笑)。

さて、これから私が和光市で教える生徒さんは、たぶん私とは異なる道を進むことになります。
基本的に、本当の初心者ばかりが集まることでしょう。
いや、そもそも人が集まるのか不安ではありますが……、それはさておき。
今回の講座では、技自体はトライフォースで学んだものを中心に、自分が考える基本というものを伝えていくことになります。

人はどのようにして強くなるのか。
人はどのようにしたら、楽しみながら続けていけるのか。
教える側も模索しながら、指導していくことになります。

そして生徒さんの中から、週一回の講座では飽き足らず、「毎日やりたい」という生徒が出てきたら、嬉しいですね。
トライフォースでやるのがベストですが、別にアクセスが良い近くの道場でもいいと思います。
そういう生徒さんが出てくるのを、とりあえず最初の目標にしておきます。

柔術は、寝技は楽しいです。中毒になります。
私自身、仕事や生活環境の変化で、2度ほど約2年間ずつ休んだことがあります。
でも、その都度、またやりたくなって復活しました。
ブランクは大変ですが、それでも立ち技ほどの大変さではないですし、ロールすればまたぞろ脳内麻薬が出てくるのは、みなさん御承知の通り。

人生、嵐のような大変な時期はきっと誰にもあります。
でもそういう時期は焦らなくてもいいし、きっと柔術は人生を通してゆっくりと、じっくりと関わっていけるもの。
そんな柔術の愉しさも、私が伝えるといったら意気込みすぎですが、自然と伝えられたらいいなと思います。

最後に。
このブログの読者はトライフォースの会員さんがほとんどだと思われますが、もし和光市周辺にお住まいの白帯の方、「土曜日ぐらい、家族もいるので近くで練習したいな」という方などおりましたら、ダブルスクール感覚で和光市総合体育館に来てみてはいかがでしょうか(笑)。
というお誘いで、この稿を締めます。