2010年9月20日月曜日

「柔術、どれぐらいやってるんですか?」7

全日本準決勝の相手は、元木康年(自衛隊)。
後のレスリング五輪代表であり、ナショナルチームのコーチを務めることになる人間である。

結果から先に言うと、私はポイントで勝利した。
確か、片足タックルで2度ほど尻餅をつかせたと思う。
だとすると、2-0とか3-0ぐらいか。

元木選手からタックルを取れたのは、彼が柔道からレスリングに転向して間もない時期であり(これは後で人から聞いた話。対戦した時は純粋な柔道家だと思ってた)、しかも専門はグレコローマンだったからである。

この一戦は、割と覚えている。
序盤にポイントをリードした自分は、足立戦同様に守りに入った。
まともに組み合わず、タックルを仕掛けたり、跳びつきアキレスなどの飛び道具を掛けたり。

そんなこんなでブレイクでスタンドになったとき、苛立った元木選手は突然口走った。
「逃げんなよ!」
え……。
今のルールなら、試合中にそんなこと言ったら、どうなんだろう?

その後、流れの中でグラウンドになり、私は膝固めに入った。
相手はディフェンスを知らない。
取れる!
しかし、いきなりレフェリーにブレイクさせられた。
相手が防御しようと、爪先をつかむ反則を犯したからだ。
反則だからブレイクだなんて、こちらの攻め損だろう。
今のルールなら、どうなんだろう?

さらに、今度はスタンドで組み手争いのときに、元木選手の指が目に入ってしまった。
故意ではないと思うが、このサミングでしばし中断。
(おかけでしばらく目の中の赤い斑点が消えなかった)。

そんなこんなで、準決勝はちょっと因縁めいた試合となったが、しかし、自分は序盤のポイントを守り切って勝利した。

そして、決勝。
相手は国際武道大学柔道部、与那嶺選手。

試合は、まったくこちらの技は通じなかった。
得意の片足タックルも駄目だった。
ポイントで普通に負けてしまった。

試合後は、そのままトイレに駆け込み、号泣。
ただ、ただ、試合で何も出来なかった自分が情けなかった。
試合で負けて泣いたのは、これが最初で最後だったか。
いやあ、純粋だった(笑)。

私に勝った彼は、確かその年のサンボ国際大会でジュニアの部で入賞していたから、やはり実力差はそれなりにあったのだろう。

大会後の打ち上げがあって、スピーチの番が回ってきた私は、「大学に入ったら、柔道部とレスリング部に入って、次は優勝する!」なんてことをぶちまけた。
いやあ、若かった(笑)。

全日本が終わり、私はすぐ受験勉強に集中。
そして、法政大学経済学部に入学した。
憧れの大学生活で待ち受けていたものは……。
つづく。

4 件のコメント:

  1.  ブログ読ませていただきました。今自衛隊体育学校レスリング班グレコローマンスタイルのコーチをしております元木康年です。
     私も負けたその試合をよく覚えています。また筒井さんと仲良くさせていただいており、ごくたまにスポーツ会館にも行かさせていただき細くですがサンボを続けています。
     今度「ロシアとサンボ」読もうと思っています。

    返信削除
  2. ご本人からとはびっくりしました。
    次回にもほんのちょっと登場します…。
    『ロシアとサンボ』のほうもよろしくお願いします!

    返信削除
  3. 自己紹介の御写真は、オシェプコフですよね。シブすぎます。
    ご多忙中のところ、木口川崎ブログをご覧いただき、ありがとうございました。
    ブログの続き、楽しみにしております。

    返信削除
  4. 国防さん

    こめんとありがとうございます。
    続きは今週末にでも書きますか。
    早く柔術まで辿りつきたいところですが…。

    返信削除