2010年9月5日日曜日

「柔術、どれぐらいやってるんですか?」6

さて、週1更新目標といいつつ、1カ月以上更新の無かったこのブログ。
ようやく更新いたします。

2度目の全日本選手権は1988年、自分は浪人生、予備校生のときである。
このときジュニア(19歳以下)62kg級にエントリーしたというところまで、前回書いた。

自分は1回戦は試合が無く、2回戦から登場した。
相手は、足立弘成。
当時の彼は高校3年生である。その後の活躍については知る人も多いだろう。
ソ連にサンボ留学も果たし、本場の技術を習得。
シニアの部でも全日本王者となった。
格通のサンボ技術講座連載にも登場し、“怪物くん”萩原幸之助さんと共に“ヒットマン”のニックネームでも知られた。
最近では、中井祐樹さんも絶賛したあの『ロシアンパワー養成法』の著書として有名だ。

その足立君とは2回戦で対戦した。
しかし、内容はほとんど覚えていない。
両足か片足かのタックルで2回ぐらい倒したような気がする。
とすると、2-0、3-0ぐらいのポイントで勝利か。

しかし、彼はこの試合が非常に悔しかったようだ。
というのも、彼がやっていた昔のHPに、そのときの思いが載っていたのだ。
私(和良)は自分がポイントを取った後は、時には掛け逃げのようにしてうまく相手の攻めを凌いでポイントを守り切ったようだ。
「ようだ」と書いたのは、試合内容を覚えていないからだが、かろうじて覚えている準決勝もそんな感じだったので、恐らくそうなのだろう。
試合について、一本取るか取られるかのような武道的な感性を持っていた彼は、私の試合ぶりが腹立たしかったようだ。

実は、私は格闘技マスコミに入った90年代半ばから、再びサンボの練習を(ちょろっと)再開したり、サンボを仕事として取りあげるようになったりして、再び足立君とも関わりが出来た。
そんなとき、「また試合やりましょうよ」と彼に何度か言われたのだが、まさかそんな想いがあるとは想像だにしなかった(笑)。
ただの冗談にしか受け止められなかった。
それが1995、1996年ぐらいの話。

例えば、柔道だと分かりやすいかもしれない。日本の柔道が世界で勝てないとき、日本は一本を取る柔道だが、外国はポイントで勝つ柔道だから……というような説明がよくされる(この言論自体は間違いだが、本旨から外れるため深追いしません)。
しかし、私自身はサンボの勝負に関しては、「ポイントで勝つ競技」という以上の観念を持つことが無かった。
そのため、自分がポイントで優勢に立ったら、普通に守りに専念もした。
まあ、足立君自身も、そのHPに文章を書いた時点では、当時の自分の考えは間違っていたという感じで昔を振り返っていたわけであるが。

正直に言っておくと(言わなくても歴然としているが)、結局サンビストとしては、足立君のほうが遙かに高みに行った。
私のサンボの現役時代は足かけ4年程度だったが、彼のサンボに関する探究心はやむことがなかった。
『ロシアンパワー養成法』の内容を眺めれば、彼の達したレベルの高さは一目瞭然であるが、それ以前からも分かっていた。
田中康弘さんが教えていたカルチャーセンターでの指導で、私は大森教室があったときにアシスタントをしていたのだが、たまに顔を出していた足立君の技術には唸ることも多かった。

話を戻そう。
2回戦で足立君に勝利した後に迎えた準決勝。
相手は、元木康年(自衛隊)。
後のレスリング五輪代表であり、引退後はナショナルチームのコーチまでも務めた選手である。

続く。

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