2012年11月24日土曜日

キャッチよ永遠に

キャッチとは、客引きのこと。
外を歩いている人に声をかけ、値段交渉をして、自分の店に連れてくること……をやっていました。
場所は、歌舞伎町のコマ劇場(当時)前。
店は、T会館のディスコ「G」(以下イニシャルです)。
時は、バブル時代末期、1989年8月~1991年2月ぐらい(大学1年夏~大学2年冬)。
キャッチとしては、長いほうかと思われ。きつくて、すぐ辞める人も珍しくないので。
このブログだと、「柔術、どれぐらいやってるんですか?」8,9あたりの時期にあたる。


○T会館の基本情報

・3F「Z」、4F「G」、6F「C」、7F「g」が入っているディスコ・ビル。

・Gがユーロビート中心で客層が一番若い(中高生中心)。Gもユーロ中心だが、Gよりは微妙に年齢層が高め。Zはブラック中心。Cもブラック中心だが、微妙に年齢層高め。

・当時はブラックが流行はじめ。ユーロはちょっと古い感じ。Gは一番ダサい存在、店のグレード的にも一番低い。店のグレード的には、G
・どの店にも、一人は「なぜこいつが黒服なの?」というルックスの人間がいた(Gはワタシ)。しかし、案外とそういう人間も客引きでは売上アベレージを維持し、比較的長く続くタイプが多かったように思える。基本、それまで女性に縁が多いタイプではなかったから?

・意外に?武闘派多し。極真経験者が何人かいた。

・一日でも入店が早いほうが「先輩」。年齢よりも、先輩か後輩かの上限関係。ただし、そのプレゼンスは先輩でも時折脅かされる。私もつけ上がってきた後輩と、喧嘩寸前になった記憶有り(先輩が止めて収まり、とりあえず仲直りしたが、そいつは少しして辞めた)。

・店を辞めるときは、基本「バックレ」。普通に辞めさせてくれなかったと思う。辞めた後に店に遊びに来る奴、あるいは堂々とキャッチの前を歩く奴は、ボコボコにされたと思う(あるいはそういうものだと、こちら側が思っていただけかも)。

・黒服は店の物もあるが、基本ダサいので自前で用意が普通。シャツ、靴も自前。

・ビルの入り口に、大きなスピーカー置いて宣伝テープを流す。「T会館、ディスコビルディング~、3階Z、4階G……」。偉そうなロカビリーっぽいオジサンがテープ代わりにマイクを握って直接喋ることも。嫌な奴だった。マイク持っての宣伝は、すごくダサいと思った。パチンコじゃあるまいし。

・書きながら気づいたが、昔はよく夢にあの頃のことが出てきた。辞めたけど店に戻ろうとしたりとか……。ある意味、トラウマだったのだと今さら気づく。


○ディスコGの基本情報

・前身は一世を風靡した「カンタベリーハウス ギリシャ館」。

・ユーロビート中心で、常連は「パラパラ」を踊る。

・常連は「いい子」が多かった。もちろん仲間以外に見せる違う顔もあるとわかるが、話していて、基本「いい子」。親とうまくいかなかったり、学校行ってなかったり、寂しい子が多かったと思う。

・営業時間は平日16~24時まで、金曜・土曜は16時~朝5時までのオールナイト。他の3店舗は平日も週末も17時から朝5時までだったと思う。

・フリードリンク・フリーフードのシステム。カクテルは超いい加減につくっていた。たまにちゃんとした大人が来て、「これが○○?」という顔をされる時も。レシピは一応あったような、なかったような。

・受付1人、中(バーカウンター&ホール)1、2人、残りはキャッチというパターンが平日は多かったと思う。「中のサービスが落ちてもいいから、とにかく外から人をかき込め」というスタイル。週末など人がいっぱい入ったときは、中が回らないので、ホールを増やしたり。


○キャッチの基本情報

・入場料の定価はないに等しい(少ない例だが外でキャッチにつかまらず、フリーで入ってきたお客さんの場合は男3,500円、女3,000円ぐらい)。

・常連は割引のメンバーズカードを持っている(一回行けばもらえた。男2,000円、女1,000円)。

・外では「500円引き」のカードを配る。基本は、一般人に向けて。メンバーズ価格からは割り引かない。しかし、一般人は定価を知らないし、こちらの値踏み次第。高く取れそうな大人の集団(結婚式の二次会とか)だと、「500円」引いて4000円、ということも。

・いくら客が引けないからといって、黙っていても入る常連をつかまえて上に案内して数字に加えることは、意味がないので怒られる。しかし、こちらも数字のため、まだあまり顔が割れていない常連は連れて行ったりする。

・声掛けは「ディスコいかがすか」「君かわいいから特別に安くしてあげるよ」とか。そのあとは相手の反応次第で。

・「君かわいいから…」はもちろん心無く言える。こんなので喜んでいたりすると、逆にこっちが意外。

・私の1年半?はかなり長いほう。売り上げに対する上からのプレッシャーで、長く続きにくい。私も、最初は週4ぐらいで入っていたが、後半はきつくて週2(水・土)ぐらいだった。(水曜はナツメロの日で常連が来る日、土曜は週末でシフト外せないので)

・集合時間(7時・9時・12時・3時)の点呼で全店舗のキャッチが集まり、その時点の売り上げを各自発表させられる。冬は、みんなに缶コーヒーをくれる。若いのが買いに行かされる。

・点呼では、売り上げが悪いと怒られる。たまに手も出る。→社会学者さんに「それ傷害罪じゃないですか」と真っ当な突込みをうける。もちろん当時のワタシ含め周囲にそんな意識はない。

・点呼での売り上げは自己申告なので(例、「1万1千円です」…2000円×4人、1500円×2人)、誤魔化すやつもいる。周りも気づき、「こいつ誤魔化したな」という目で見る。とにかく上の目があるので、売り上げが芳しくない時のプレッシャーの掛けられ方は、半端じゃない。女の子でオイシイ思いをすることを差し引いても、長く続きにくい。

・当時は「花粉症」という言葉がなかったが、春先はいつも目や鼻が症状に悩まされた。そんな時期にマスクもせず、週末なんかは夕方から深夜まで必死に歩き回っていたのだから、今考えると恐ろしい…。


○やくざ・警察官との関係

・T会館のディスコが、「T友愛」という暴力団がやっていてT友愛が山口組系である、という程度の認識は皆あったと思う。

・キャッチと暴力団の直接の交流はほぼ無し。お客としても、どこまでが関係者か、ただの不良かは厳密に判別できないが、基本的な認識としてお客としてあまり入っていなかったのでは。店側としては、裏でいくら繋がりがあったとしても、そういう客層を増やしたら一般客が来ないという当然の認識はあったはず。

・中国人は…正直、ほとんど意識しなかった。当時は隣の大久保も、あんなコリアンタウンにはなっていなかったし。

・基本的に、店と警察は「デキていた」と思う。

・キャッチは「違法行為」という認識はあり、警察官を見たら客引きを「やめる」「退け」という指示はあった。具体的には、警察官の存在に気づいたキャッチが、後ろのほうに「歩いて」いき、「警察、警察」と皆に教えて、客引き行為を中断させる。割引カードは隠す。

・ただし、新入りのキャッチが警官を見て走って逃げたような時、上の人間(4店の統括マネジャー)が点呼の際怒ったことも。「走って逃げるから、こちらも追いかけなけりゃいけなくなる」と警察官の立場から教えてくれたことがあったと記憶。

・もちろん警察が客引き行為に気づかないはずがないから、これは出来レースである。

・風営法関係の記憶ははっきりせず。


○オカマの立ちんぼ

・二人常連がいた。

・小森のおばちゃま似(以下K)、デッドオアアライブのボーカル似(以下D)。

・どちらも中高年と思われる。酔っ払い相手を専門としているように見えた(酔っ払いでないと一般人の性的対象には…)。

・Dのほうは背が高く(185-190cm? ヒールのせいかも)、からかってくるサラリーマンとよく喧嘩していた。いつぞや逃げるサラリーマンを追いかけ、後ろから背中に跳び蹴りを食らわせた場面を見たことがある。また、同じように追いかけ、からかわれたまま逃げ切られてしまい、激しく憤る姿も見たことがある。

・Dは激情型。よく一人でぶつくさ文句を言っていた。

・Kのほうは、指を一本立て、「1万円でいいから!」と言っていた場面を見たことがある。恐らくDも相場はそれぐらいではないかと推測される。

・ほとんどキャッチとは交流はなかったと思う。私は一度だけDと会話。客からエルメスのスカーフをもらったと自慢していた。

・彼らはいつまでストリートにいたのか、気になる。


○その他ストリート

・新聞配達の「新宿タイガー」はよく見た。

・テレクラのリンリンハウス前までが、T会館キャッチの南の縄張り。テープから流れる「ニッポン一安い!」「1時間800円!」の連呼は、未だに脳裏に。

・縄張りの範囲、東はT会館のビルが切れるところまで。範囲ははっきりしていたので、客と話しながら歩いてそこから出てしまったら、諦める。

・コマ劇場があった頃。公演が終わってお客さんが吐き出される時間帯は、中高年で路上が埋め尽くされるので、その時間帯は仕事にならず。

・コマ劇場前で、深夜に北島三郎を見たことがある。取り巻きと一緒だったが、本当に小さかった。

・「VIP」という店でボッたくられた、というサラリーマンによく会った。当時その界隈で有名だった模様。


以上、備忘録の一部です。




2012年11月13日火曜日

キャッチとは

キャッチとは何か。

プロレス・格闘技ファンなら、
Catch As Catch Can(キャッチ・アズ・キャッチ・キャン)を連想するはず。

「キャッチ・レスリング」の別名を挙げ、
カール・ゴッチやビル・ロビンソンの名前を出して説明を始める人もいるかもしれない。

しかし、その説明は、間違っている可能性が高い。
実は、Catch As Catch Canは関節を取り合うサブミッション・レスリングなどではなく、
単にフリースタイル・レスリングの古い言い方に過ぎないからだ。

上半身しか掴めないグレコローマン・レスリングに対して、
「掴めるところを掴む」「掴めるように掴む」という意味の、
フリースタイル・レスリングを指す、古い英語である。

……というのは、別にワタシが研究し考えたことではなく、
翻訳blogさん
http://sanjuro.cocolog-nifty.com/blog/
のおかげで、近年日本でもその筋では広まった知見であり、
ワタシ自身もそれに同意するものである。

           *

さて、このフリースタイル・レスリングの「キャッチ」とは全く関係なく、
ワタシは自分自身が若い頃に歌舞伎町でやっていた「キャッチ」について、書いてみようと思う。
まあ、客引きだって、相手の関心の「掴めるところを掴む」「掴めるように掴む」のは同じだし、
いわば「フリースタイル」には違いない!

というのも、最近、ある学者さんの聞き取り調査に協力し、
バブル時代の「キャッチ」について、自分の体験談を話したのがきっかけ。
インタビュー前に埋もれた記憶をできるだけ引き出そうと(20年以上前!)
当時のことを箇条書きにしてみた。

聞き取り自体は、その学者さんのニーズと微妙にずれた感じだったのだが、
それはともかく、せっかくのメモを私的な備忘録として残しておこうと思ったのだ。
(あくまで表に出せるというか、出したい範囲で)

続きは、また気が乗ったときに。

2012年5月25日金曜日

ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか?

ちょっと書くタイミングを逸しましたが……
5月3日、竹内宏介さんが永眠されました。

竹内さんは「月刊ゴング」をワタシが生まれる一年前に創刊した初代編集長であり、
プロレスファンには全日本プロレス中継の解説者としても知られています。
ワタシにとっては、プラス、日本スポーツ出版社時代の上司です。

尤も、それほど密な関係だったわけではありません。
ワタシの日本スポーツ時代、主に1994年10月から2000年12月までの最初の社員時代を指しますが
(2度辞めて3度復帰した男なので、複雑なのですが)、こちとら二十代の若造、竹内さんのほうは社長。
立場が違いすぎるうえ、竹内さんの専門はプロレスで、
『ゴング格闘技』のほうは舟木さんに完全に任せているという感じでした。

ワタシにとって、竹内さんとの印象的な出来事は数少ないですが、二つあります。

昔、ワタシは中央区の柔道大会に出て初段の部で優勝、
それをゴン格の大会結果欄に自らの手で紛れ込ませたことがあるのですが
(しかも写真付き。まだ若かったので……笑)、
竹内さんから思いがけず「社長賞」をいただきました。
「金一封」もいただいたのです。
直接手渡されたのではなく、上司の舟木さん経由だったと思います。
編集者として売れる雑誌をつくったとかじゃなく、完全なる社外活動。
しかも、柔道大会優勝という謎の理由……(笑)。
後日、批判も人伝えに聞きましたが、とにかく社員のそういう面まで目を配り、評価される方でした。
これは嬉しくて、忘れないように何か形に残そうと、ゴルチェのサングラスを購入したのを覚えています。

もう一つ。
ワタシが初めて自分の企画を通し「編集長」として携わったムックが『修斗読本』でした。
台割・構成も自分で考え、原稿も7、8割自分で書いた気がします。
もちろん二十代につくったものなので、いまから見れば編集の甘さが端々見えて仕方ないですが……、
当時はそれまで存在しなかった修斗オンリーのムック本をつくりあげたという達成感がありました。

これは割と光景として鮮明に覚えています。
ある日、本社と編集部の間の道で竹内さんに会い、「あれはいいね!」と声をかけられたのです。
「ありがとうございます! いや、マニアックで……」「いや、よかったよ!」というようなやり取りがありました。
竹内さんはプロレス畑の方で、当時ブームが始まりつつあった修斗のことは分からなかったはずですが、
ご自身がよく知らない分野でも、それが本としてよいものかどうかを判断された。
つくり手の偏愛ぶり、ノリノリ感も伝わったのかもしれません。
(デザイナーの安西さんも元修斗コミッションだったりしますし)
ともかく、この大編集者からの褒め言葉が、若造にとって嬉しくないはずがありません。
だって、ワタシ今でも忘れられないのですから。

ついでにいうと、桜庭vsホイラー戦でグレイシー越えにファンが狂喜乱舞するなか、
ゴン格(というかワタシ)は「桜庭のアームロックは極まっていなかった」という、
今からするとかなり空気読まない論陣を張り(笑)、
柏崎先生の腕がらみ解説まで引っ張り出して特集を構成しました。
容易に反論できないだけの、かなり丁寧な記事をつくったつもりです。
確かこの記事も、竹内さんに「よかったよ!」と褒められたのです。
ただ、そのときの光景が思い出せないのですが……、なので記憶違いの可能性も皆無ではないものの、
確かこれも竹内さんからだったと思います。

その後、日本スポーツもいろいろあって、経営者が代わったり、竹内さん自身病に倒れたり、
終いには某社長逮捕で会社自体が消える運命に……。

ただ、竹内さんというと、白山のあの道で「よかったよ!」と声をかけられた、
あの古い光景がワタシにとっていちばん思い出される竹内さんです。

とかく自意識過剰で臆病、人一倍他人の目を窺って生きる性質なのに、
やりたいことは空気も読まず突っ走らずにはいられないこのゴン格の若造編集者に対し、
ちょっぴり勇気と自信を与えてくれた大編集者……、
ワタシにとって竹内さんはそういう人だったと思います。

今更ながらのお礼を申し上げると共に、ご冥福をお祈りいたします。

2011年9月14日水曜日

婚活と格闘技雑誌のセクシュアリティ

このあいだ、婚活目的の合コンなど催す会社の女性経営者にお話をうかがう機会があった。
そこでの男女関係についての話が、個人的には、実に腑に落ちる話だったのだ。
結婚を前提としたお付き合いで、異性に求めるものは何かという話。
(ただ、恋愛においてもあまり変わらない人はそれなりにいる)

まず、「男と女、どちらが外見にこだわるか」。
これは男の方だという。

たとえば、女性は男性に対して、ルックスは評価の一部分である。
しかし、男性は女性に対しては、ルックスは評価の大部分を占める。

女性はルックス以外にも、男性の職業(及び年収つまり将来性)や家族構成(長男か次男かで親の面倒の有無)、性格(及び相性)など、いろいろ評価すべき軸があり、それらの総合点でお付き合いを判断するという。
ルックスは65点でよくもなく悪くもなく、職業は安定して収入も高めで90点、家族関係は長男だから低めの50点だけど、性格も相性もよいので90点以上……というように総合的な判断をする。
(実際に点数つけるわけではないだろうが)

一方、男性は、女性の職業や家族構成などを結婚の判断材料にあげる者は少ない。
性格すらも、そりゃよいに越したことはないが、それよりも何よりもルックスが自分的にOKかどうか(つまり自分なりにエロスを感じれるかどうか)が最大の評価軸である。

逆に言うと、ルックスさえクリアできて、自分のことを好いてくれるのであれば、性格やその他のものは「問題ない」範囲に収まっていればよいのである。

ここまで読んで、私はそういう人間ではない……と反発を感じた人は、この先を読み続けるのは時間の無駄なので、離脱推奨。
一般的にそういう傾向が強い、という話である。

確かに、そこまで男は外見にこだわっているだろうか、とワタシもその場で聞いたとき感じた。
しかし、男は外見にこだわっているわけではない。
単にそれが相手を選択するうえでの最大の評価軸である、という話である。

その女性経営者によると、渋谷の街角に立ってある一定時間、ルックスが好みの異性がいたらチェックする、という実験を男女にやらせた統計があるという。
結果、女性のほうは平均して数人程度だったのに対し、男性は数十人というレベル。
文字通り、ケタ違いの男女差が出たのだという。
(話の流れからして婚活中の男女を対象にした実験だったと思う)

男性は、女性のルックスが何よりも大きな関心事でありながらも、かといって、「こういうタイプじゃなきゃ絶対イヤだ」というこだわりがあるわけでもなく、その守備範囲は女性に比べてかなり広い。

それが男という生き物……!!(笑)。

いい人ぶりたい男が、「人って顔じゃないよ、内面だよ」などと言うとしたら、単にそいつのルックスに関する「守備範囲の広さ」を示しているだけ、というのは実はよくある話かも。

ここでフェミニズム的な分析を施すのは容易だろう。
が、やらない。
それが凡庸であるからではなく、ワタシが書きたかったのは、格闘技のことだから(笑)。

現在、定期刊行している月刊の格闘技雑誌は「ゴング格闘技」一誌のみ。
隔月刊で「ファイト&ライフ」はあるが、発行部数や業界に与える影響としては、正直、ゴン格には及ばない。
日本の経済不況、出版不況、格闘技ブームの終焉、ネットなどメディア環境の変化もあり、「格闘技通信」は昨年、「紙プロ」は今年休刊というのが、格闘技雑誌をめぐる現況である。

そのなか、最近いくつか格闘技関連ムックが出版されている。
つくり手としては、実験的に何号か出した後、売れ行きが良ければ版元が月刊化を決定……という展開を当然狙っているだろう。
(まだ具体的にそういう話が進んでいる例は寡聞にして知らない)

それらのムックを見て、改めて感じたことがある。
ネットは情報だけが命だけど、紙媒体は総合点だな、と。

ネットは、無料で情報が手に入ることが多いという点で評価のハードルが低くなることは大前提だが、いかにそれが今まで関係者しか知らないような貴重な話であったり、初めて公表される事実であったり、真実に近いと思われる裏話であったりするのかという、つまりテキストにおける情報が全てである。

もちろん、紙媒体の雑誌だって、テキストが肝なのは変わりないのだが、雑誌好きのあなたなら知っているはずだ。
写真の素晴らしさやデザインのセンス、キャッチコピーや雑誌全体の構成から伺われるコンセプトや編集者の情熱らしきものも、私たちは雑誌に欲望する。

「テキスト」は買ってからでないとじっくり味わえないので(何でも立ち読みで済ませられる人には雑誌好きはいないと思う)、その雑誌の世界観も含めて所有したい、じっくりそれを自分の時間で味わいたいと、雑誌好きなら思うものである。
(ちなみに、雑誌におけるテキストは情報だけに留まらない。事象を切り取る解説や視点の斬新さ、もちろん文章の巧さなんかも、金を払う以上必要である)

たとえばワタシの場合だと、写真が残念な雑誌には、個人的には総合点が一気に下がってしまったりもする。
写真が残念だけどデザインは素晴らしいということはまず無いので、これらはたいがいセットになっている。
(残念ながら編集者のほうは自覚できない。センスとはそういうものだから)
よって、ワタシの所有欲は当然下がる。

しかし、それらが残念な出来であっても、テキストに関しては素晴らしく評価できるということはありうる。
とすると、紙媒体は総合点でありつつも、どの異性(読者)に対して強く届くのか、というのは雑誌の個性になるのであろう。

ワタシ自身は女性に対してルックスの部分で高い評価は得られないと思っているから、総合点での評価を強く希望する(笑)。

しかし、元・雑誌のつくり手としてのワタシは、総合点で評価されることは決して「救い」なのではなく、総合点で評価されるからこそ実に「怖い」ことなのだ、と恐れている。

そして、現・格闘技ファンとして書店でパラッとページをめくるときのワタシは、キャッチコピー一つを見て、「この雑誌の編集者は古いなー」とか残酷な刻印を押してしまうこともある。

定期刊行物の雑誌編集者なら分かると思うが、大事なのは「ドントシンク、フィール!(考えるな、感じよ)」「考える前に跳べ!」的な読者を、その雑誌で持つことである。
そりゃ、毎月つくっていれば、いつもいつも魅力的なコンテンツ満載というわけにはいかないのだ。
どうしてもネタが厳しい号もある。
それでも、この雑誌を欲望してもらうには、テキストだけでは不安定だし不十分なのは自明である。
それこそ普段からの「総合点」で信頼してもらい、ファンになってほしいのである。

だからこそ、テキストも写真もデザインも、すべて手を抜けないし、手を抜いているような(たいがい当事者に自覚はない)紙媒体を見ると、「あなたたちね……」とひとりごちるのだ。

それが、紙媒体。
かくも厳しき、総合点!

中身のある会話などなくていいの。
別に何か話すことがあるってわけじゃないけど、ただ会いたい。
会っていれば幸せなの。
……そんなトキメキを、毎月発売日に持ってもらわなきゃ困るのである。

出会えれば、しあわせ。
そんな関係を築くまでには時間がかかるし手抜けないし、そりゃ大変だよー、っていうことを、いくつかのムックを読んで、思ってしまった次第である。
■

2011年7月6日水曜日

喧嘩の止め方

日曜日のまだ明るい夕方、大久保の裏道で若者二人が喧嘩をおっぱじめそうな雰囲気。
茶髪が黒髪に文句をつけてて、今にも殴りかかりそうな勢い。
黒髪のほうはというと、文句言われて、小突かれて、何か言いたげだけど、黙って相手を見ている。
水商売の同じ店の人間っぽい。
たぶん女関係のトラブルじゃないかなと感じた。

なんでそこまで観察していたかというと、ワタシは軽く通り過ぎたかったのだが、ゴツく正義感あふれるサンボの仲間たちが止めに入る構えを見せていたからだ。

ワタシとて、これが一対多数だったり、武器を持っていたりすれば話は別だ。
あるいはこれが一方的な力関係に見えたら、もう少し感じ方が違ったかもしれないが、昼間の住宅街で人通りもないわけではない。
生死にかかわるようなことにはならないだろう、というただの直観である(もちろん根本は面倒には関わりたくない、だ)

しかし、仲間たちがそのような感じなので、ワタシも少し離れたところで見守っていたら、突如、茶髪がヒートアップ。
黒髪の首を絞め始めた。
といっても、いかにも素人のヘッドロックっぽい絞め方。

仕方ないのでワタシも近寄って行ったが、それよりも全然早く仲間の一人は反応し、その茶髪の背後から絞めあげる。
その瞬間、見た目はまるでプロレスのバトルロイヤル(笑)。

もっとも、その仲間が後で言うには、チョークではなく、あえてフェイスロックで締めあげたらしい。「噛まれるリスクはあったけど」とも言っていた。
絞め落とすのが目的ではなく、二人を離させるのが目的だから、そうしたのだろう。

まあそんなことより、ワタシが感心したのは、そんな茶髪の輩に対して、フェイスロックで引きはがしにかかりながら、「やめましょう、やめましょう」と丁寧語だったことである。

この仲間は、レスリングでもサンボでも大変な実績がある方である。
腕っぷしでは茶髪など全く寄せ付けない方なのに……、いや、素晴らしい。

ワタシは喧嘩の技術なんかよりも、喧嘩を止める技術のほうに関心がある。

さて、そんな色んな人間が止めに入ったことで、何となく大丈夫そうだと判断した私たちはその場を離れ、しばらくして別の仲間と合流した。

その別の仲間の話によると、さっきの場所に警察が来ていたとか。

住宅街だったし、近隣住民が通報したのかもしれない。

しかし、仲間たちは言う。
ワタシの見た目が怖いから、住民が通報したんだよって。
そんなことはないはずだ(笑)。

2011年1月9日日曜日

柔術教師

例によってご無沙汰しています。

しばらくここで連載していたタイトル「柔術、どれぐらいやってるんですか?」ですが、
実はトライフォース青山のブログで、その答えらしきものを書いてしまいました(笑)。

埼玉県和光市の体育館でワタシが柔術クラスを始めることになり、
その告知用に、主に柔術道場の方を対象にして書いた文章なのですが、
以下にほぼ同内容のものを転載いたします。

次の機会に、ブログの連載タイトルも変えねば。

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このたび、埼玉・和光市総合体育館(http://www.konamisportsandlife.co.jp/trust/wako/)で柔術講座を受け持つことになりました、トライフォース青山の茶帯、藁谷です。

石川先生がご厚意で「ブログで紹介するから」ということで、講座の詳細をお知らせします。

場所は和光市総合体育館(和光市広沢3-1/TEL048-462-0107)で、年明け1/8(土)からスタート。
毎週土曜日16:30~17:30、1クール3カ月12回(3カ月後も延長できます)、税込1万2千円です。

という時間や場所だけ書いて送ったら、もっと書いてほしい…ということで、ちょっと長めの文章を書かせていただきます。

まず、簡単な自己紹介から。
私、藁谷はトライフォース麹町(現・青山)に入会して約2年半、茶帯に昇格して1年です。
麹町の前は、他の柔術道場に約3年間在籍していました。
さらにその前は、サンボや高専柔道をやっていました。

今回の指導の話は、妻の職場の関係で私個人に直接来たものであり、「トライフォース和光(TFW)新設!」ということではなく、単に「ブラジリアン柔術講座」を藁谷個人が受け持つという形式になります
(石川先生からは「何でも協力する」とありがたい言葉をいただいています)。
恐らく公の施設が運営するブラジリアン柔術講座というのは、まだ全国でも珍しいのではないでしょうか。

そして、私自身、柔術の指導を受け持つのは、今回が初めてとなります。
もちろん、青山でも頼まれて足関などを教えることは時々あります。
でも、単に時間内にその技を教えて出来るようにするだけでなく、
生徒さんが楽しく続けられて、柔術が上手く強くなっていくように一からプログラムを考えていくのは、かなりステージが異なると感じています。

前に石川先生からは「指導をやると、上手くなる」と言われたことがあります。
他人に伝えるためには、細部まで体の動きが論理的でなければならないわけで、そこで技の理解が深まるのは今まで実感してきました。
でも、これはさらに一段階上の何かが待ち受けているのでしょうね……(まだ「予感」です)。

人に教えることとは、どういうことなのか。
そう考えると、自然と自分の来し方を振り返ってしまいます。

私はトライフォースにいる多くの道場生の方とは少し違う道を辿って来たかもしれません。
結論から言うと、私は長い間、「柔術」というよりも、「寝技」を嗜んできました。
ある程度、寝技に特化した練習を私が始めたのは1996年の春、高専柔道を現代に受け継ぐ寝業研究会だったということもあるでしょう
(当時はちょうど日本に初めて柔術道場が出来た頃でした)。
数少ない寝技中心の乱取が出来るところであれば、柔術でも柔道でも高専柔道でもサンボでも総合の道場でも、喜んで行きました。
寝技が好きで、寝技が出来るところなら、いろいろルールやスタイルは違っていたほうが面白いと思っていました。
初期の柔術家たちは、そういう方は他にもいましたね。
パラエストラの昼柔術にもよく行かせていただきましたし、そこで現在のトライフォースの各先生方とも出会っています。

青帯の後半ぐらいまでは柔術道場に所属することなく、あくまで私自身は(柔術ルールの)「寝技」をやっているという感覚でしたね。
もっとも、紫帯ぐらいからは柔術以外の道場に行くことはほとんど無くなったので、今はもう完全に「柔術」という意識になっていますが。

なので、多くの生徒さんのように、道場に行って、毎回先生から技を三つ四つ習って……ということは、しばらく経験してきませんでした。
サンボや高専柔道で学んだ技の他は、柔術や柔道のビデオ(DVDではなく)や技術書(雑誌の技術企画含む)などを見て、自分で勉強していましたね。

それはメリット、デメリットあると思います。

メリットでいえば、人から技を与えられないので、常に自分で考える癖がつくのではないかと。

たとえば、昔、よく柔術界には「柔術は力が要らない」と言う人たちはいましたし、スパーしてても「もっと力を抜け」とか言う人たちがいました。
しかし、そんなことは全く重要ではないと、私はずっと思っていました(この辺のことは過去に原稿にも書きました)。
それは、柔道やサンボ、グラップリングなど他の格闘技のように、私は柔術も全く同じ「スポーツ競技」としてフラットにとらえていたからです。
逆に、人の体を制する技術の考え方自体に、そんな大きな差があったらおかしいです。

私自身は強さ弱さでいえば、茶帯のほうでも下の部類です。
ただし、私のようなスタイルの人はあまり他に見当たらないのではないかと思います(笑)。

そのおかげで、陰で批判されることも多々ありましたし、今でもないわけではないようですが、それは仕方ありません。

デメリットでいえば、その分、技にかなり偏りが出てくること。

なので、たとえば当初、麹町の「基礎クラス」に、紫帯や茶帯になって出るのは恥ずかしいという気持ちもちょっぴりあったのですが、実は出てみると初めて知ることも多かったりしますし、今でもけっこう新鮮な気持ちで臨んでいることは告白しておきます(笑)。

さて、これから私が和光市で教える生徒さんは、たぶん私とは異なる道を進むことになります。
基本的に、本当の初心者ばかりが集まることでしょう。
いや、そもそも人が集まるのか不安ではありますが……、それはさておき。
今回の講座では、技自体はトライフォースで学んだものを中心に、自分が考える基本というものを伝えていくことになります。

人はどのようにして強くなるのか。
人はどのようにしたら、楽しみながら続けていけるのか。
教える側も模索しながら、指導していくことになります。

そして生徒さんの中から、週一回の講座では飽き足らず、「毎日やりたい」という生徒が出てきたら、嬉しいですね。
トライフォースでやるのがベストですが、別にアクセスが良い近くの道場でもいいと思います。
そういう生徒さんが出てくるのを、とりあえず最初の目標にしておきます。

柔術は、寝技は楽しいです。中毒になります。
私自身、仕事や生活環境の変化で、2度ほど約2年間ずつ休んだことがあります。
でも、その都度、またやりたくなって復活しました。
ブランクは大変ですが、それでも立ち技ほどの大変さではないですし、ロールすればまたぞろ脳内麻薬が出てくるのは、みなさん御承知の通り。

人生、嵐のような大変な時期はきっと誰にもあります。
でもそういう時期は焦らなくてもいいし、きっと柔術は人生を通してゆっくりと、じっくりと関わっていけるもの。
そんな柔術の愉しさも、私が伝えるといったら意気込みすぎですが、自然と伝えられたらいいなと思います。

最後に。
このブログの読者はトライフォースの会員さんがほとんどだと思われますが、もし和光市周辺にお住まいの白帯の方、「土曜日ぐらい、家族もいるので近くで練習したいな」という方などおりましたら、ダブルスクール感覚で和光市総合体育館に来てみてはいかがでしょうか(笑)。
というお誘いで、この稿を締めます。

了

2010年11月14日日曜日

「柔術、どれぐらいやってるんですか?」9

「オイッ」と後輩の肩を叩いたところ、
振り返ったその顔は、F村ではなかった。
肩を叩いたのは、こともあろうに1年前、準決勝で戦った元木選手だった。
同じ坊主頭だったから、間違えてしまったのだ(笑)。

試合中に「逃げるな!」とほざかれ(失礼…当時の心境を再現すると)、目を指で突かれ(故意ではないが)、ほとんど形に入った膝固めを反則によって逃げられてしまった(これも恐らく故意ではないだろうが)、あの因縁の相手である。
向こうだって、ワタシを「あの野郎!」ぐらいは思っているだろう。

まさかの展開に、一瞬頭が空白になったW少年は、どうしたか。
なんと、間違ったことを悟られないように振る舞うことを選択した。
「あ、元気?」ぐらいは言ったかもしれない(笑)。

元木選手からは同じ62kg級エントリーじゃなかったことを問いただされて、「いや、もともと57kg級で、去年は減量できなくて62kgにしたんだ」とか答えた記憶がある。

二言、三言を交わして、微妙な感じのままW少年はその場を離れた(笑)。

元木選手はこのときの全日本では準優勝になったが、翌年はワタシの先輩の故・杉本さんの金メダルを常に阻んできた、東海大柔道部出身の小林左右長さんにも勝って、2度ほどシニアでチャンピオンになっている。

その後、元木選手は本職のグレコに専念して、こちらでも実績を出していった。
遅咲きの努力型タイプで、シドニー五輪では日本代表にまで上り詰め、その後もナショナルチームのコーチを務めるなど、指導者としても高い評価を得ている。

後日談だが、元木選手とワタシの共通の友人である山形出身の某接骨医から聞いたところでは、「自分のほうが負けているのに、“逃げるな”って言うのはやっぱり恥ずかしかった」と言ってたらしい。

ちなみに、ワタシが記者になってから言われたことだが、あるスポ館の先輩から「君の最大にして唯一の功績は、元木に勝ったことだよ」と評価されたことがある。
元木選手にしろ、足立選手にしろ、競技者としてワタシよりも遙かに高みにいった人間と、若い頃の一時にせよ凌ぎを削れたのは、大事な思い出でありちょっとした誇りでもある。

閑話休題。
試合前に後輩と因縁の相手を見間違えるという、そんなしょうもない“事件”はあったが、しかし試合のほうもひどかった。
もう相手の名前も所属も覚えていないが、自分の中では「勝てる相手」として臨んだ試合だった。
しかし、グダグダの試合になった。
ポイントが取れないのだ。
当時よく使っていた背負い→小外のフェイントで1ポイント取ったぐらい。
結果は、初戦敗退だった。

ズバリ、練習不足というしかない。
大学生になって合コンだ水商売だと浮かれていた自分に、相応しい結果が出た。
初戦でワタシに勝った相手も2回戦で負けていたし、さほど強い相手でもなかったのだろう。
1年前と違って、涙も出ない。
涙は、試合に向けて全力を出した者だけに相応しい。
試合のときに全力を出したかどうかではなく、試合前の練習で悔いなきようにどれだけ自分を追い込んで全力を出したかである。

この大学1年秋の全日本を境に、ワタシはスポ館の練習から足が遠のいた。
そして、再び夜の世界に戻っていった。

続く。